趣味で書評のような物を書いているが、世の中には書評家という仕事がある。
もちろん、書評だけでは食べていけないので、コラムニストだったり、編集者だったり、作家だったり、他の仕事もあるが、文章で本の魅力を伝えられるプロだ。
そんな書評稼業40年の著者が、読書遍歴、出版業界の今昔、書評とはなんぞやまで、取り止めもなく書き記す、回顧録的なコラムである。
著者紹介【北上次郎】
1946年生まれ。エッセイスト、書評家、編集者。2001年まで本の雑誌の発行人を務めていた。私小説の目黒考二とミステリー文学評論家の北上次郎、競馬評論家の藤代三郎など多くの名義を持っている。
書評家にもタイプがある
本が好きなら、文庫本の解説や雑誌のエッセイや書評など、どこかしらで目にしたこともあるのではないかと思う北上次郎、あるときは目黒考二であり、あるときは藤代三郎。私は競馬方面の藤代三郎名義から知り、最初はこれらが同一人物だとは知らなかった。
本書では、本人も述べているように、あくまで記憶だけを頼りに脱線しつつも書評か人生について回顧している。
面白いのは、あまり意識したことがなかったが、書評にも分類があること。
書評家を大きくわけると、まず三つにわけられる。たとえば、杉江松恋と川出正樹は明らかに書評家というより評論家だろう。それが彼らの特質だ。新保博久と日下三蔵は、書斎派型の研究家。私、霜月蒼、村上貴史は「煽り書評」を書く扇動家。
そうなると今度は、それを意識して彼らの書評を読んでみたくなる。
所詮、私の書いている文章は書評にもならない感想とまとめレベルなので、どうせ書くならその辺も少しは勉強していみたい。
そして、また読みたい本が増えていく。
無限に本が積まれていく罠にハマりそうだ。
書評家の副業
専業の書評家で生計を立てている人は数少ないというが、その書評家に付随した副業というものがあるという。
それは新人賞の下読みである。
昔は新人賞の数自体が少なかったが、今は各社に新人賞があり、投稿本数も多いため有名な書評家は残らず駆り出されるらしい。
著者は本を読むだけで生活していけないかという、本好きなら誰もが考える夢想から、こんなアイデアを持っていた。
社員五十人が毎日せっせと新刊を読んで、データを蓄積していく。顧客の入会金は一万。会費は毎月千円。それだけで毎日電話できる。何度電話してもいい。で、ただいまはこういう気分なのだが、そういうときに読む本は何かあるかと質問すると、たちどころに答えてくれるのである。それは入会のときに克明な面接をしてその人の好みがデータ化されているからだ。
ちなみに、このアイデアは椎名誠に五十円で売って、「日本読書公社」というタイトルで「小説新潮」に載り、『蚊』(新潮社)に収録されているらしい。
流石に現実的には難しいだろうが、そもそも「本の雑誌」自体が様々な書評を参考に自分好みの本を見つけるものとして、同じような役目を既に果たしていて、ありがたい。
新人賞の下読みもそれだけで生計が立てられるほどではないので、専業書評家として食べていくのはなかなか厳しいが、本当に本を読むのが好きな人ならではの話だと思う。
おわりに
1960年代のエンターテインメントとしての小説発展期から現在までの大衆小説史を辿り、作家との付き合い方や書評家の分類など盛り沢山の内容で、まさに書評稼業四十年をギュッと凝縮したような内容になっている。
著者のような60代後半から70代の人達というのは、上からは戦争世代の経験を直に受け取り、本人たちはこの40〜50年の戦後の文化的な変貌を全て体験し、作り上げてきた世代である。
もちろん、今とは比較にならないほど劣悪な環境だったり、厳しい時代でもあったと思う。しかし、それと同時に発展期を生きた羨ましさもある。単に感受性が落ちてしまった自分の問題なのかもしれないが。
最後に、これだけの書評家でも、当然読みきれていない本が大量に本棚にあると聞いて少し安心した。そして、その本棚や書店で表紙を眺めているのが一番楽しいのもわかる。
・書籍情報
『書評稼業四十年』
北上次郎(本の雑誌社)