本書は、『伊庭八郎征西日記』を読むという副題が付けられている。この副題を見たときに、何か見覚えがあるなと思った。記憶を掘り返したところ、あるマンガが思い浮かんだ。
るろうに剣心である。
マンガ『るろうに剣心』第6巻で「幕末一の人気美剣士“隻腕の伊庭八“」の錦絵を買いに行く場面があるのだ。『るろうに剣心』は、好きで何度も何度も読んでいる作品。わずか2〜3ページに錦絵としてしか登場しない人物の名前をよく覚えていたものである。
その伊庭八郎がどんな人物であったか、また幕末のグルメ事情はどうなっていたのか、気になる本書を紹介したいと思う。
伊庭八郎とは何者か
伊庭八郎とは幕末の剣士で、江戸幕府に大御番士として登用され、文久4年(1864年)正月に徳川家茂が再度上洛した際、奥詰隊として同行した経歴を持つ。本書は、その同行した際に残した日記を読み解いたものである。
その後、伊庭八郎は遊撃隊として鳥羽・伏見の戦いに参戦。5月には箱根山崎の戦いで、左手首を負傷のため左腕を切断。切断面から二寸程の骨が飛び出ていた八郎は「とんと痛かねえやい」と小刀ですっぱり削り落としたと生き残った従者が証言するほど強い精神力も持っていた。
隻腕となった後も榎本武揚を追い、函館に入った後も徹底抗戦を主張。遊撃隊を率いて奮戦するも木古内の戦いで胸部に被弾。これが致命傷となり、開城の前夜に榎本武揚の差し出したモルヒネを飲み干して自決した。
これだけを見ると豪傑のイメージであるが、そんな伊庭八郎の書くグルメ日記とはどのようなものなのか。当時の価値観も含めて紹介したいと思う。
1両の貨幣価値はいくらか
まず、幕末のグルメ日記を読む前に知っておくべきは、貨幣についてである。
江戸時代〜幕末は現在の「円」ではなく、金・銀・銅の3種からなる「三貨制度」により運用されていた。
金貨の場合、単位には「両(りょう)」「分(ぶ)」「朱(しゅ)」の3種類があり、一朱金が4枚で1分、一分金が4枚で1両(小判1枚分)という換算になっている。
徳川幕府の貨幣制度(資料出所:日本銀行金融研究所)
そして、金貨と銀貨の相場は変動するため発達したのが「両替商」である。
大きく変動した1両の価値
日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料では「当時と今の米の値段を比較すると、1両=約4万円、大工の手間賃では1両=30~40万円、お蕎麦(そば)の代金では1両=12~13万円」という試算を紹介している。
しかし、江戸時代は250年以上続いたため、この間の「両」の価値は大きく変動しているのだ。
米価から計算した金1両の価値は、江戸初期で約10万円前後、中~後期で4~6万円、幕末で約4千円~1万円ほどになり、10分の1まで落ちている。「教えて!にちぎん」
それでは、現代との物の価値を比べつつ、伊庭八郎が楽しんだ京都グルメを見てみよう。
グルメだけじゃない!日記から見る幕末の物価
グルメ日記と紹介したが、忘れてはいけないのが伊庭八郎の仕事。
徳川家茂が上洛の際の警護である。講武所の剣術方と槍術方を合わせた剣槍方が202人、奥詰が80人であったと言われている。
二条城に勤めるのは4日に1度(夜勤あり)、かなりゆとりのある勤務体制である。そのため、空いている日は同僚と観光や買い物をしていた。
その観光コースも「北野天満宮から金閣寺」や「東福寺、三十三間堂、伏見稲荷」など現代でも定番コースを巡っており、なんだか親しみが持てる。
そこで登場する食材など購入品を少し書き出すと下記のようになる。
1両10万円で計算
幕末 |
|
ゆで卵 |
20文(300円) |
鰹節 |
1朱24文(6,610円) |
宇治茶 |
600文(9,000円) |
鯛(2尾) |
1分(25,000円) |
うなぎ |
3分(75,000円) |
わらじ |
40文(600円) |
足袋(5足) |
2分(50,000円) |
脇差 |
1両2分2朱(162,500円) |
「墨場必携」 |
1分2朱(37,500円) |
「十八史略」 |
1分3朱(43,750円) |
「玉篇字引」 |
1両(10万円) |
鯛以外は量や数が書いてないのでわからないが、今でも高価なものはこれぐらいの値段はしてもおかしくない。ただ、一般的な感覚から言えば、今なら半値から3分の1ぐらいの値段だろうか。
とはいえ、前述した幕末は1両が4,000〜10,000円というのは安すぎる気がする。
それ以上に現代と価格差が大きいのが本である。「墨場必携」は名文集、「十八史略」は歴史書、「玉篇字引」は漢字辞書。当時、本は大変高価な物だったのだろうか。
伊庭八郎は幼少期は漢学や蘭学に興味があったとあり、このような本を購入していることからもそれがわかる。
ちなみに、約半年に及ぶ勤務で44両(440万円)の手当が出たとある。4日に1度、月に7日の勤務で月収80万円とは破格であるが、命をかけているからこその給料か。
おわりに
幕末の貨幣価値に興味を持つも良し、伊庭八郎と共に京都観光に想いを馳せるも良し、20歳そこらの青年の日記として楽しむも良し。
メインはグルメ日記だが、観光に割いている日も多く、どこを観光して何を思ったか日記としても面白い。
江戸に戻り、その後は壮絶な最期を遂げた伊庭八郎。
護衛という職務があったとはいえ、ほのぼのとした日常を垣間見ることができる貴重な日記であり、またそれこそ当時の若者の普段の姿のであったのだろう。