「わかっちゃいるけどやめられない」
50年以上前に流行った「スーダラ節」の歌詞である。
これを歌った植木等は、浄土真宗の僧侶である父親に「『わかっちゃいるけどやめられない』は人間の矛盾をついた真理で、親鸞の教えに通じる」「必ずヒットするぞ」と後押しされたという。
この誰しもが共感してしまう人間の心理。
このような行為など悪循環となってしまう状態を、わかりやすく解き明かしたのが本書『悪循環の現象学』である。
どこにでも潜む「行為の意図せざる結果」
例えば、早く寝ないととベッドに入ったものの、逆に眠れなくていつも寝る時間以上に遅くなったことはないだろうか。
これは「行為の意図せざる結果」の代表的な例で、他にも過剰な例えとして「象を追い払うために手を叩き続ける男(象は一度も現れていない)」なんて表現もされている。
「行為の意図せざる結果」とは「行為」自体がその「行為」の「意図」の達成を拒んでいる、という特殊な構造を持った状況を指す。そして、当事者には見えにくく、客観的な立場からはわかりやすい特徴も持っている。
そういえば、コロナ禍の初期に、トイレットペーパーが不足するという噂が流れ、メーカーや店舗が在庫があるとしたにも関わらず、品不足になる事態に陥った。
これも通常通りにすれば在庫が十分にあるのに「無くなっては困る」という不安が、消費者自らの手によって「品不足」にするという結果を生み出してしまっている。
このように「行為の意図せざる結果」は、社会現象から個人まで、どこにでも潜む面白さと怖さがある。
特に家族間においては、家族内のコミュニケーションが「行為の意図せざる結果」の反復的な再生産を維持する機能を果たして、それが固定化されやすい。
アル中やDV、門限を守らない子供の躾も「行為の意図せざる結果」に陥っている可能性が高いのだ。
これをどのように解決するかは知りたい人は、ぜひ本書を読んでほしい。
ここに書いてある通りに全て解決するわけではないが、自分自身や家族に問題を抱えている人には大切な考え方を導いてくれるかもしれない。