書評・読書記録

【『こち亀』社会論 超一級の文化史料を読み解く】を読みました。

私は小学生の頃から『週刊少年ジャンプ』で育ち、今でも電子書籍で読み続けている生粋のジャンプっ子である。

『週刊少年ジャンプ』には様々な名作があるが、常々、人生の教科書、現代社会史として役に立つと言い続けているのが「こち亀」、正式名称『こちら葛飾区亀有公園前派出所』だ。

そんな思いを抱いていた私に「待ってました!」と叫びたくなるような書籍が刊行された。

その名も『『こち亀』社会論 超一級の文化史料を読み解く』である。

1976年から2016年の40年間も続いた「こち亀」を社会論としての考察した本書。期待せずにはいられない。

「こち亀」とは何か

『こちら葛飾区亀有公園前派出所』とは、『週刊少年ジャンプ』にて1976年から2016年まで連載されていた、型破りな警察官の両津勘吉を主人公とした「今」を舞台にしたギャグ漫画である。と言った解説など今更不要であるぐらい幅広い世代に親しまれた作品である。

この「今」を舞台にし続け40年も連載が続いたところが、「こち亀」が社会論になる所以なのである。

まさに現代の浮世絵!

筆者は本書の第0章にて「こち亀」は現代の浮世絵であると言っている。

それは何故か。

浮世絵の特徴を以下のように挙げている。

浮世絵の特徴は大きく3つ。上から目線の芸術ではなく大衆・庶民のための娯楽であったこと、「時代の今」「大衆のニーズ」を素早く取り入れていたこと、精緻な描き込みによる史料的価値があること

「こち亀」といえば、両津がブームや新製品に食い付き一儲けするも調子に乗って大失敗というお決まりのパターンがある。

つまり、「こち亀」は「今」ブームなことを毎度面白おかしくマンガにして書き上げているのである。

筆者は、その効果を『週刊少年ジャンプ』の中の「受動的に配達される新聞」と呼んでいる。

確かに「こち亀」メインで『週刊少年ジャンプ』を買う子供は少ないが、買ったからには勿体無いから読もうという子供は多かっただろう。

そんな子供新聞的な役割がある「こち亀」から私も含めて子供たちはいろんな事を学んだと思う。

「こち亀」で学んだこと

「こち亀」を通した学んだ事や記憶に残っている事がいくつかある。

9033号(71巻)「無加月くんのツキだめし!の巻」では、カセットデッキを修理している両津がオープンリールデッキからカセットとエルカセットの誕生、ビデオデッキからベータでもVHSでもないVX方式の通称ドカベンカセットというものを紹介している。

平成2年の時点では、私は幼児だったのでリアルタイムで読んでいない。

しかし、後からコミックスを買って(当時はVHSがまだ主流だった時代)、ビデオにもそんな歴史があったのかと雑学が増えて嬉しかった。今となっては、VHSですら何かわからない世代であろう。

 

さらに、9613号(98巻)「両さんのパソコン講座の巻」では、OS、ハード、CPUの説明9614号(98巻)「インターネット駄菓子屋の巻」ではネットショップの開業をしており、ページの最後には用語のヘルプ解説と称して脚注が72もある。

96年というと「Windows 95」が発売され、インターネットが世の中に普及し始めた翌年である。

我が家にパソコンが登場したのは「Windows 98」の頃で、私自身が自分のパソコンを持てたのは9613号から6年後の2002年頃。6年経っても色褪せない教科書として何度も98巻を読み直したものである。

 

また、たびたび出てくるマイホーム問題には東京生まれ東京育ちとして共感したり笑ったりし、両津が副業や資格を生かした商売の話ではビジネスの仕方や騙される心理を学び、大人になってから読み直しても新しい楽しみ方ができる本当に人生の教科書なのである。

と、大いに褒め称えた一方で「こち亀」は悪ガキの教科書でもあった。

後述するが、破天荒な行動をする両津の周りには、暴力、ヤクザ、エロなど少年マンガの範囲で登場するし、悪ガキとしての両津がした行動で具体的に真似したことがあるのは「足にラムネ瓶を挟んだままジャンプして地面に叩きつける事で瓶を割り、ビー玉を取り出す方法」(危険なのでやめましょう)など、良い子ちゃんばかりでは無い内容も多い。

創作の中でさえ喫煙シーンが消えていく中、現代では許されない描写も多いのかもしれないが、当時の世相を表しているのは事実であり、また過去の作品に関しては受け手側の分別に委ねられるべきであろう。

「こち亀」とポリコレ

本書は後半になるとポリコレに関する考察が増える。

「ポリコレ」とは「ポリティカル・コレクトネス」の略で、性別・人種・民族・宗教などに基づく差別や偏見を防ぐ目的で、政治的や社会的に公正・中立とされる言葉や表現をすべきというものである。それは「ジェンダーの押し付け」「マンスプレイニング」「ルッキズム」などとも言われる。

そして、本書では「こち亀」は浮世絵だ当時の世相だと言いながら、過去の言動を現在の価値観に照らしわせ始めている。

社会論と銘打っているから仕方ないかもしれないのだが、マンガとして捉えるならそんな考察は不要だろう。時代劇を見て、現在の価値観と照らし合わせる人がいるだろうか。

また、「こち亀」は「女性と円滑なコミュニケーションが取れない劣等感」を抱く文系少年やサブカルの味方としているが、そもそも掲載誌が『週刊少年ジャンプ』である。

SLAM DUNK』を筆頭にスポーツ少年も読んでいたし、『ろくでなしBLUES』の真似事をするようなヤンチャ少年も読んでいた。さらには、思春期を刺激する『いちご100%』や『To LOVE -とらぶる-』のような漫画も外せないラインナップであった。

ジャンプに掲載されている以上、「こち亀」は文系少年だけをターゲットにしていたわけではないだろうし、「ジェンダーの押し付け」や「ルッキズム」は文系少年に限った話ではないだろう。

近年ポリコレに関して、このままだと「少年」にもケチをつける層が出始める勢いだが、本当に馬鹿らしい。ターゲットの分類に関してケチをつけ始めると、洋服のメンズ・レディースの分類もダメだし、全方位に対して気を配るとなるとマーケティングや商売が破綻する。

 少々、話が逸れてしまった。

何が言いたかったかというと、こち亀は当時の浮世絵であると同時に少年誌に掲載された創作なのである。

当時は許容されていた悪習も含めて浮世絵に対して現在の価値観に照らすのはナンセンスだし、両津勘吉の破天荒さや麗子を筆頭とする多くのヒロインに少年たちが食い付いてこそ「こち亀」なのだ。

 ここだけの話、女性キャラの爆乳化が始まった時期は大変お世話になりました。なんせ『週刊少年ジャンプ』ですから。

おわりに

両津の警察官としての年収や、当時の住宅価格、暴走族やセレブの扱いをマンガ内と現実を比較して考察しているのは大変面白い。

また、両津が行ってきた数々の副業についてビジネス面から考察したり、数々の社会の仕組みを取り上げた回など事例を挙げて説明している。

ポリコレ関連の考察が多すぎるのと、ポリコレに影響があるようなコマが現在のコミックスでは削除されていると知ってショックな事もあった。

ただ、読み応え十分で概ね満足の一冊で、これを機会にもう一度「こち亀」を読み直したくなった。

ちなみに、我が家には55巻〜119巻と集英社文庫から出ている傑作選がある。

文庫版の傑作選は電子書籍で出版されていないのが残念だが、作者である秋本治氏が選んだもので「こち亀」未読の人には是非オススメしたい。




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