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書評・読書記録

【ネタバレ】「ねじまき鳥クロニクル」を読みました【村上春樹】

投稿日:2016年9月21日 更新日:

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村上春樹4作目。そろそろ村上ワールドに慣れてきた気がします。

このブログを書くにあたって、まずは一読。

疑問点や気になる点を確認するために再読。

2段階の読書が必要なのでなかなか更新できませんが、こうやってまとめると自分の頭もすっきりするので頑張ります。

「ねじまき鳥クロニクル」ってこんな小説

あらすじ

「僕(岡田亨)」は会社を辞めてから家事をして生活する身。妻「クミコ」は雑誌編集者として働いている。この結婚生活は、それなりに上手くいっていた。

しかし、変化は突然訪れる。

飼っていた猫(ワタヤ・ノボル)がまず失跡。これを機に、僕の周りでは奇妙な人々や出来事が起き始める。その後、妻「クミコ」は僕に何も言わずに姿を消してしまった。

僕は奇妙な人々との邂逅を経ながら、やがてクミコの失踪の裏に、彼女の兄「綿谷昇」の存在があることを突き止めていく。

「井戸の底」「壁抜け」「意識の娼婦」「痣」などをキーワードに、出て行った妻を取り戻すために物語りは進む。

表面的な解釈

まず、「ねじまき鳥クロニクル」というタイトル。

クロニクルとは年代記という意味です。

では、ねじまき鳥とは何か?

ねじまき鳥は、誰にも姿を見せずにギイイイイイと鳴く世界のねじを巻く鳥と表現されているが、小説が僕の物語である以上「ねじまき鳥=僕」であり「僕の年代記」であると考えられます。

そして、年代記というからには、ここには一連の事件や重要な出来事が記されているはずです。

それは何か。

「僕」と対極の存在は「綿谷昇」

「僕」には人を癒す・慰めるような力があり、「綿谷昇」には人の意識に入り込み支配・暴力を行う力があります。

単純にいえば「僕」が「綿谷昇」から「妻」を取り戻す物語、それが実は「綿谷昇」という強大な悪を打ち倒すことで、世界のねじが正常に周り始めることに繋がる。そんな物語でしょう。

しかし、それだけでは済まないのが村上春樹の世界。

そこまでに散りばめられた出来事をどのように解釈するか、これが楽しみでもあり難問でもあるのです。

「ねじまき鳥クロニクル」に散りばめられた疑問

絶対的な悪の存在

今回、かなりのページが割かれている間宮中尉のノモンハンの話とシナモンの祖父である獣医の話。

どちらも戦時中の理不尽な暴力性が描かれており、どちらにも救いはありません。

今回は、村上作品に通じる絶対的な悪として、特に戦争を強調して取り上げられていると考えて良さそうです。

Wikiによると、

この小説で取り上げた、戦争に代表される大きな暴力の根源がどこにあるのかという疑問が、後に『アンダーグラウンド』『約束された場所で』の執筆の大きなきっかけとなった。

とあるので、この2作を読むことでさらに「ねじまき鳥クロニクル」を深く掘り下げることができそうですが、それはまた別の機会があればにしたいと思います。

電話の女性は誰か

一番最初の疑問は、1ページ目で発生する謎の女性からの電話です。

「僕」は知らない声なのに、相手は「僕」のことを良く知っている。

結論から言ってしまうと、妻のクミコが濃厚でしょう。

単純に「僕」のことを知っている人は見当たりませんし、クミコが出ていく事を決意する前に「僕」に助けを求めていたようにも思えます。

「女性」と「セックス」と「異世界」と

村上春樹作品といえば、「女性」と「セックス」と「異世界」の3つの繋がりでしょう。

相変わらず、性的な描写が異世界への道となっており、今まで取り上げた作品中で一番如実に表現されています。

異世界であるホテルがキーとなる作品ですが、そこには必ず女性が出てきます。

単なる異世界への鍵とみるのか、それこそ本編に関わるキーとして見るのか。

村上春樹作品の中では、女性の役割をどこまで深く読むかで悩んでしまいますね。

笠原メイとは

悩ましいのは笠原メイの存在理由です。

いなくても成り立つ気もしますが多くのページが割かれている以上、無視するわけにもいきません。

僕の考えでは笠原メイは、物語の主軸ではないですが、テーマの主軸にいるのではないかと思っています。

笠原メイは常に死について考えています。

「人生ってそもそもそういうものじゃないかしら。みんなどこかしら暗いところに閉じ込められて、食べるものや飲むものを取り上げられて、だんだんゆっくりと死んでいくものじゃないかしら。少しずつ、少しずつ」

「つまり―私は思うんだけれど、自分がいつかは死んでしまうんだとわかっているからこそ、人は自分がここにこうして生きていることの意味について真剣に考えないわけにはいかないんじゃないのかな。(中略)死というものの存在が鮮やかで巨大であればあるほど、私たちは死にもの狂いでものを考えるわけ」

ところが終盤になると以下のように変わっていきます。

「だってくる日もくる日も同じことをくり返しているだけなんだものね。でもそれにもかかわらず、それにもかかわらずです、自分がこんな風に仕事の一部になっていることにたいして、私はぜんぜん悪い気持ちを持っていません。(中略)自分について考えないことでぎゃくに自分の中心に近づいていくというみたいなところがあるのね。」

常に死について考えていた状態から、歯車であることで生きていることを実感していくようになります。

井戸の底で光を浴びた後、漫然と生きていくしかなかった間宮中尉とも繋がりがあるように思えます。

さらに、笠原メイは「僕」は「クミコ」のために闘っているのだけど、同時に結果的に他のいろんな人のためにも闘っているように見えると言っています。

これは、まさに「僕」=「ねじまき鳥」に繋がり、ねじが巻かれる=笠原メイも普通の生活に戻るに繋がるのではないでしょうか。

このように考えると、笠原メイはテーマに沿って読者を導くキーなのかもしれませんね。

僕と間宮中尉とシナモン(の祖父)

後半から出現するシナモンとナツメグの存在その後の展開にも謎があります。

「僕」と「シナモンの祖父」は痣で結びついており、「間宮中尉」と「シナモンの祖父」には新京という街で結びついています。

また「僕」と「ナツメグ」は癒しの力で結びついています。

そして「シナモン」は祖父の記録を「ねじまき鳥クロニクル」と名づけています。

作中にはそれが次のように書かれています。

すべては輪のように繋がり、その輪の中心にあるのは戦前の満州であり、中国大陸であり、昭和十四年のノモンハンの戦争だった。

ここで戻るのが、最初に述べた絶対的な悪の存在としての戦争です。

そう考えると「僕」が現代において「綿谷昇」を食い止めた事が、実は壮大な悪を食い止めることに繋がっていた・・・のは考えすぎでしょうか。

「戦争」と「平穏をもたらすネジ」

結局はここに戻るのでしょうか。

この小説で取り上げた、戦争に代表される大きな暴力の根源がどこにあるのかという疑問が、後に『アンダーグラウンド』『約束された場所で』の執筆の大きなきっかけとなった。

うーん、テーマの深層に辿りつくには簡単では無いですね。

いずれは、上記の2冊を読んで改めて考えてみたいと思います。




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