
By: Erik Kennedy
村上春樹に挑戦、2作目は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」です。
セカオワですね(笑)
これは「意味がわからない、難解」と言われる村上春樹のイメージを一新させてくれた読みやすくかつ面白い小説と感じました。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」ってこんな小説
あらすじ~結末
高い壁に囲まれ、心がない住人や一角獣と共に完全な世界で暮らす僕の物語「世界の終り」
事象を暗号化する計算士として生活する私が老科学者から受けた依頼により、組織と記号士を含めた謎に巻き込まれる「ハードボイルド・ワンダーランド」
この2つの世界はどちらも私(僕)の意識であり、老科学者により埋め込まれた特殊な思考回路によるものだった。
私の意識は次第に作られた世界である「世界の終り」に移行していっている。
このまま「世界の終り」で生きるべきか。
脱出方法を見つけた僕と影が取った行動は。
最後に取った選択は「僕だけが生きる」道であった。
「世界の終り」が意味するもの
ファンタジーな世界観で構成されている「世界の終り」と、計算士や現実の地名が表記された現実世界風味の「ハードボイルド・ワンダーランド」
2つの思考回路(意識)は、一見すると現実世界と思われる後者がメインの話の印象を受けます。
しかし、私が共感したのは「世界の終り」の方です。
「世界の終り」では、全てのことが決まっている囲まれた完全な世界です。言うなれば、自分の内向的な意識、作り上げた想像の世界とも置き換えられます。
想像の世界で生きる事はダメな事でしょうか?
そんな疑問に対して、この小説はゆるやかな答えを示してくれました。
「世界の終り」の住人たちは既に心も影もない状態ですが、「僕」は心も影も残した状態で生活が始まります。
しかし、この影は引き剥がされ冬を迎えると死んでしまい、「僕」は影のない人間として「世界の終り」で永遠の生活を送ることになります。
「私」の意識が作られた世界に移行していく中、「僕」と影は「世界の終り」からの脱出を試みることを考えます。
想像の世界とは決別する事が正解なのか。
この小説が出した答えは「僕」だけが想像の世界に留まり、影は脱出するという道でした。
現実世界を諦めることは普通ならバッドエンドです。
しかし、何故かこの小説ではバッドエンドのような悲壮感はありません。
自分が作り上げたともいえる「世界の終り」に責任を持ち、「世界の終り」を消滅させるのではなく「世界の終り」を否定もせずに生きていく道がある。そんなゆるやかな道も悪くはないよ、と暗に言っているように聞こえました。
単純にパラレルワールドを舞台にしたファンタジー小説としても十分楽しめながら、何か考えさせられる魅力的な小説でした。
もしかしたら村上ワールドにはこうやってハマっていくのかもしれませんね。