村上春樹作品もついに6作目。ここまで来たら長編を全作品読んでしまいたい気持ちにも駆られるのですが、いったんひと休みして、次は別の小説家を読んでいきたいと思っています。
「海辺のカフカ」ってこんな小説
あらすじ
主人公である田村カフカは中学3年生の15歳。彼は幼いころから父親にある呪いのような予言を刷り込まれ、それから逃れるために家出を決心する。
「僕」田村カフカは高松の図書館に辿り着き、そこで寝泊まりするようになる。
もう一人の主要人物であるナカタは、知的障害のある猫と話せる不思議な老人で、猫探しを頼まれる仕事中に出会った「猫殺し」の男を殺害してしまう。その後、彼はトラック運転手の星野と出会い、導かれるように高松へ向かう。
「僕」は高松の図書館で、館長の佐伯さんや司書の大島さんと過ごすようになった。ある日、父親が殺されたニュースを知り、警察の手が近くまで伸びていることを知る。司書の大島が提供してくれた隠れ家の森に避難した「僕」は、森の奥で2人の兵隊に出会い小さな町に辿り着いた。
その町で「僕」が出会った人とは。ナカタが高松に向かっていた目的とは。
フランツ・カフカの思想的影響のもとギリシア悲劇のエディプス王の物語と、『源氏物語』や『雨月物語』などの日本の古典小説が物語の各所で用いられている長編小説である。
「海辺のカフカ」をどう解釈するか
この作品は、多様な解釈が許されるストーリーが展開されており、村上春樹自身は読者それぞれの解釈を重要視しており、答えを明示していません。
そこで私の個人的な解釈を述べてみます。
オーソドックスに村上春樹を解釈するなら「絶対的な悪」「性行為による・死、喪失、異世界」の2つのキーワードは外せません。
今作も後述しますが、この場面は出てきます。
では、全体を通してこの物語をどう解釈するか。
大変難しい問題です。
この物語は、カフカ少年とナカタさんの2人の物語で進み、この2人は出会わずにかつ結果的に問題を解決してしまいます。
ナカタさんはナカタさんで自身の物語を完結してように見えて、カフカ少年に絶対的な悪を承継させない重要な面もあります。
佐伯さんは佐伯さんで、カフカ少年と出会うことで15歳の恋人と再度出会う思い出を達成し、カフカ少年の呪いをメタファーで叶えるような結果ももたらしています。
何でしょう。仕組みが分かっても答えがわからない人生のような本です。
期間限定の公式ホームページに寄せられた13歳から70歳まで、アメリカ、韓国など世界各国からの感想や質問は「少年カフカ」に掲載されており、こちらを参考にしてみるのも良いでしょう。
「海辺のカフカ」に散りばめられた謎
父の呪いとは
「父親を殺し、母親と姉と交わる」これがカフカ少年が父親にかけられた呪いです。
ここで問題になるのは、さくらさんが姉で佐伯さんが母親なのかという疑問です。簡潔に言うと、これは違うでしょう。
さくらさんの家は千葉にあったとあるし(「上巻」P153)、さくらさんとは実際に行為はしていません。なお、佐伯さんとは実際に行為をしています(「下巻」P155)。
何より、この小説がメタファーを乗り越えた少年の物語だとすると、父親の呪いを叶えてしまうことは失敗を意味します。それに後述する父親が「絶対的な悪」を承継させようとしたのも失敗しています。
ジョニー・ウォーカーの存在
カフカ少年の父親がジョニー・ウォーカーです。彼は猫たちの魂を集めて笛を作っていました。残忍な意思です。
これをさらに大きくしてひとつのシステムになってしまうような特大級の笛を作ろうと企んでいます。
これがメタファーなのかというと、これはこの世界の現実と考えられます。
上巻のP119「その複雑で目的のしれない処刑機械は、現実の僕のまわりに実際に存在したのだ。それは比喩とか寓話とかじゃない。」
これを目にしたからこそ、カフカ少年は父親の呪いを恐れ家出をしたと考えられます。
つまり、「絶対的な悪」である父親は、「呪い」と「笛」により悪をカフカ少年に承継させようとしていたのです。
そして、その移動手段がナカタさんになります。
ナカタさんと佐伯さんが半分あちらの世界に行った原因は
ナカタさんが少年時代の話で原因がわかります。ナカタさんは親からの暴力を受けており、それは内向した子供が自分一人で心に抱え込まなければならない種類のものでした。
そしてある時、担任の教師により「暴力を振るうことによって、そのとき彼の中にあった余地のようなものを、私は致命的に損なってしまったのかもしれません」(「上巻」P216)という事があり、ナカタさんは損なわれてしまいました。
一方、佐伯さんの原因は、生まれながらにして愛し合っていたともいえる恋人を失ったことです。しかし、現在のことしかわからないナカタさんとは逆に佐伯さんは思い出にしがみつくことで周りを損なってきました。(「下巻」P358)
「だから私はそのような侵入や流出を防ぐために入り口の石を開きました。(中略)でも彼を失わないために、外なるものに私たちの世界を損なわせないために、何があろうと石を開かなくてはならないと私は心に決めたのです。」(「下巻」P360)
ナカタさんと佐伯さんは逆の理由ながら、半身を入り口の石の中に置いてきてしまいました。
カフカ少年と佐伯さん、カフカ少年とナカタさんの繋がり
カフカ少年と佐伯さんは出会うことで「人はいろんな大事なものをうしない続けるが、それが生きることのひとつの意味であり、あくまで記憶として留めて生きていかなければならない」ことを知ります。
佐伯さんのような止まった世界で生き続けることでは進めないのです。
しかし、カフカ少年とナカタさんの関係は、佐伯さんに比べると少々残念な結果な気持ちもします。
ナカタさんは、カフカ少年の父親に半身である隙を突かれて邪悪なものを運ぶ手段に使われてしまいます。入り口の石を見つけ出し一つになるという目的は達成できたのかもしれませんが、佐伯さんの結末に比べると可哀そうな気もしますね。
本当に何となくぼんやりですが、私の感想としては「思い出や感情に囚われてはいけない。しかし、それも一つの記憶として進み続けるんだ」という前に進む勇気をもらったような一冊でした。