書評・読書記録

【ネタバレ】「金閣寺」を読みました【三島由紀夫】

「金閣寺」は三島由紀夫の長編小説で、代表的な作品であると同時に三島由紀夫が日本文学の代表的作家の地位を築いた作品とも言われています。

私としても今まで読んだ本の中でとても印象深い一冊です。

日本文学としては外せない一冊である「金閣寺」について読み込んでいきましょう。

「三島由紀夫」とは

1925年生まれの小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家で、ノーベル文学賞候補になるなど日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家とされています。

代表作は『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』などがあり、煌びやかで詩的に富んだ美しい文章を書く作家です。

一方で三島由紀夫というと、自衛隊市谷駐屯地で割腹自殺を遂げた政治的な印象が強く偏ったイメージもあるかもしれません。

政治的な思想や人物的な背景が作品に大きな影響を与えているのも確かです。しかし、そこまで考慮すると、三島由紀夫はそれだけで生涯の研究にもなるような作家です。

ここでは、金閣寺が書かれた思想や背景は深く掘り下げず、まだ読んでいない人もしくは一読して気になった人向けに、あくまで表面的な解釈から書評してみたいと思います。

三島由紀夫について詳しく知りたい方は、まずWikiに目を通して関連書籍も多数出ていますので読んでみて下さい。

それでは、今回の題材の「金閣寺」に入ります。

「金閣寺」ってこんな小説

あらすじ

日本海に突き出たうらさびしい成生岬の住職の子として生まれた私「溝口」は、幼い頃から父に金閣ほど美しいものは地上にないと聞かされて育った。

病弱で吃りのあった溝口は、思春期には他人との間に明確な壁を作り、孤独の中で人に理解されないことを誇りとするようになった。

やがて、父の修業時代の知人が住職を務める金閣寺へ訪れ、今後金閣寺で修行するように託される。

自身が美から疎外された存在と感じていた溝口は、初めて訪れる金閣に期待し、金閣の美しさを自身の中で壮大なものとしていたが、実際の金閣を目の前にしてみるとそれとは違い落胆してしまう。

しかし、挨拶が終わり一度自宅へもどると、現実の修正を経た金閣は心象の中でますます美しく膨れ上がっていた。

その後、父が亡くなり、約束通り金閣寺の徒弟となった溝口は、数か月ぶりに金閣を目前とする。相変わらず、現実の金閣寺より心象の金閣の方が美しいままであった。

ある日、新聞の見出しで空襲が迫ることを知り、金閣寺も空襲が焼け落ちる可能性に気が付く。

これにより、不動の建築物であった金閣は溝口の中で象徴と化し、ついに心象の中の金閣と現実の金閣寺が変わらぬ美しさとして映るようになった。

戦争が終わった。

それはすなわち金閣の永遠性が復活したことを意味していた。

再び不動に存在する美としての金閣と美から疎外された溝口は大きな壁によって隔てられた。

大学に入ると両足に内翻足の障害を抱える柏木と出会う。吃りである自分と重ね合わせ近付いてみたが、柏木の内面は溝口と大きく違った。

柏木は障害に後ろめたさや気恥ずかしさを感じず、洞察力や障害を逆手にとって女性を口説くような人物であった。

柏木と知り合ってから溝口は女性との関係を持つ機会に巡りあうようになる。

しかし、その度に金閣寺の幻想が現れ美しい夢想を見せる。人生の幸福や快楽に溝口が化身するのを咎めるように。

ある日、溝口は菊の花に蜂が戯れる様子を見る。この時、溝口は蜂の目になって菊を見るように想像してみた。すると菊の花は正に小さな金閣のように美しく、蜜蜂の欲望にふさわしいものになっていた。

そして、溝口は自身の目に戻った時、あれほど魅惑的だった菊は漠然とした菊の花に戻り、蜜蜂と菊があるに過ぎなかった。

溝口はあることに気が付いた。生が私に迫ってくるとき私は私の目をやめて金閣の目になり、その世界では金閣だけが絶対的な美を占有し、その他のものを砂塵と帰してしまうことを。

そして、溝口は思う。「それにしても、悪は可能であろうか?」。

昭和24年の正月に溝口は老師が女性と歩いているところに出会ってしまい、尾行していると勘違いされ叱責を受ける。

しかし、翌日には溝口は釈明の機会もなく老師からは無言の放任が続いた。溝口は老師を試そうと、愛人の芸妓の写真を老師が読む朝刊にはさみ、憎しみを誘うことで老師との対峙を待った。だが写真は無言で溝口の机の抽斗に戻された。

11月になると、これまでの累積した気持ちから溝口は出奔を決意する。由良川から舞鶴湾の河口へ向かい、荒涼とした北風と波を眺めているうちに溝口は残虐な想念にうたれた。

「金閣を焼かねばならぬ」

「金閣寺」は実在の事件!?

金閣寺放火事件というのは実際に起きた事件です。

1950年7月2日の未明、鹿苑寺から出火の第一報があり消防隊が駆けつけたが、その時には既に舎利殿から猛烈な炎が噴出して手のつけようがなかった。当時の金閣寺には火災報知機が7箇所に備え付けられていたが、6月30日に報知機のためのバッテリーが焦げ付いていたため使い物にならなくなっていた。幸い人的被害はなかったが、国宝の舎利殿(金閣)46坪が全焼し、創建者である室町幕府3代将軍足利義満の木像(当時国宝)、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻など文化財6点も焼失した。

実際の犯人である林養賢は、作中の溝口と同様に大学に通う金閣寺の見習い僧侶であり、吃音症であること、父が亡くなり母から過剰な期待をされていること、金閣寺を放火後カルモチン(催眠剤)を用意しているなど、事実になぞって描かれています。

ただし、異なる点として、結末で溝口は生きようとして小刀とカルモチンを投げ捨てていますが、林養賢は山中でカルモチンを飲んだ上、小刀で切腹しています(未遂)。

当然、そこには三島由紀夫の意図が含まれているのでしょうが、ここでは読んでいくうちに必ず現れるテーマについて簡単に考察したいと思います。

抑えておきたい「金閣寺」のテーマ

「美と生」「行為と認識」について

小説「金閣寺」を通して語られ続けているのは金閣の美です。

なぜ溝口には金閣があれほど魅力的に見えていたのでしょうか。

一つは溝口に吃音があり、人から理解されない境遇が、美からも疎外されていると感じていた溝口と対照的な金閣寺に美しさを余計に感じていたからでしょう。

それに加えて溝口が語っていのは一回性と永遠性についてです。

まず小説の最初の方の54頁で金閣が美しく輝きを増す場面があります。

金閣というこの半ば永遠の存在と、空襲の災禍とは、私の中でそれぞれ無縁のものでしかなかった。(中略)しかし、やがて金閣は、空襲の火に焼き亡ぼされるかもしれぬ。このまま行けば、金閣が灰になることは確実なのだ。

……こういう考えが私の裡に生れてから、金閣は再びその悲劇的な美しさを増した。

そして終戦を迎えると「金閣と私との関係は絶たれたんだ」「これで私と金閣とが同じ世界に住んでいるという夢想は崩れた」「永遠が目ざめ、蘇り、その権利を主張した」と語ります。

溝口は金も自由も解放もなく、吃音で人からも理解されず、自分の世界が外と隔てられれていると感じていたはずです。

もし、金閣が滅ぶとなれば、金閣も人間と同じように一回性の世界のもので儚さと親近感を感じたのかもしれません。

しかし、246頁になると金閣と私、一回性と永遠性の関係も変わります。

人間は自然のもろもろの属性の一部を受けもち、かけがえのきく方法でそれを伝播し、繁殖するにすぎなかった。殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、殺人とは永遠の誤算である。(中略)人間の滅びやすい姿から、却って永生の幻がうかび、金閣の不壊の美しさから、却って滅びの可能性が漂ってきた。(中略)金閣を私が焼けば、それは純粋な破壊、とりかえしのつかない破壊であり、人間の作った美の総量の目方を確実に減らすことになるのである。

人間こそ永遠性があり、金閣こそ一回性であると語っています。

金閣は550年のあいだ湖畔に立ち続けているが何の保証もないこと、永遠と思われるものが明日にも崩れてしまうこと、溝口は金閣の一回性を行為によって実証しようと思ったのです。

私の行為はかくて付喪神のわざわいに人々の目をひらき、このわざわいから彼らを救うことになろう。私はこの行為によって、金閣の存在する世界を、金閣の存在しない世界へ押しめぐらすことになろう。世界の意味は確実に変るだろう。……

そして、美しい金閣を世界から消すことで、溝口が生きる意味を見出したのかも知れません。

金閣寺を燃やす直前の溝口と柏木のやり取りに、私はこの小説の全てが集約されていると思います。

この世界を変貌させるものは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。

世界(人生観)を変えるのは行為であるとする溝口と、世界(人生観)を変えるのは認識であるとする柏木。

確かに生を耐えるには認識によって変えるのが一番だと思います。柏木のように認識を変えることで自分を受け入れて生きていくのが幸せなのかもしれません。

一方で、行為によって人生が変わるのも確かです。動かなければ始まらないことはたくさんあります。どちらも言っていることは正しいのです。

ただ、行為によって世界や人生観が必ず変わるかというと疑問があります。ありきたりですが、誰かがいなくなったり、何かを失っても、大きな目で見たときに世界は変わらずそのまま動き続けていることもあります。

生きるために金閣を燃やし、途中で死の衝動に駆られながらも、最後は生きることを選んだ溝口。

生きるために美しい金閣を燃やす行為にでたことで彼の中で何か変わったのでしょうか。それぞれの読んだ人の捉え方によると思います。

「悪は可能か」とは

小説のターニングポイントで出てくる「悪」という感情。

溝口にとって悪とは何だったのでしょうか。

88頁では終戦後の不安な実情による行為に対して「世間の人たちが、生活と行動で悪を味わうなら、私は内界の悪に、できるだけ深く沈んでやろう」と語っています。

そして、この時の溝口にとって悪とは老師に取り入って金閣を手に入れること、空想として老師を毒殺してその後に居座ることなど他愛もない夢でした。

次に、女性を足蹴にした後の109頁では「たとえ些細な悪にもせよ、悪を犯したという明瞭な意識は、いつのまにか私に備わった。勲章のように」と語っています。

この時点で老師という絶対的な存在に見透かされずに「悪」を行うことで、自身の存在を認めることができると感じていたのかも知れません。

鶴川が死んだ後の166頁には「生と象徴性」について次のように書かれています。

「とまれ私の生には鶴川の生のような確呼たる象徴性が欠けていた。」「彼は私のような独自性、あるいは独自の使命を担っているという意識を、毫も持たずに生き了せたことであった。この独自性こそは、生の象徴性を、つまり彼の人生が他の何ものかの比喩でありうるような象徴性を奪い、従って生のひろがりと連帯感を奪い、どこまでもつきまとう孤独を生むにいたる本源なのである。」

溝口は鶴川に対して純潔で無垢であると思っており、金閣のような象徴性を見出していました。対照的に理解されない事だけを誇りとしていた溝口にとっては、「悪」を行うことで生の証を求めていたのかもしれません。

このことは、213頁の老師の新聞に女性の写真を挟んだ悪事のあとにも描かれています。

「老師の憎しみを期待してやった仕業であるのに、私の心は人間と人間とが理解し合う劇的な熱情に溢れた場面をさえ夢見ていた」「ゆるされた私は、生れてはじめて、鶴川の日常がそうであったような、あの無垢の明るい感情に到達するかもしれなかった」

もしかすると、溝口は「悪」という行為を通して本当は理解されたかった、感情の共有に辿り着きたかったのではないでしょうか。

おわりに

小説「金閣寺」のキーワードは「認識と行為」でしょう。これが、形を変えて「生」や「美」「悪」と溝口の意識に深く広がっています。

今回は、あくまで三島由紀夫の時代的背景を考慮せずに思うところを書いてみました。

金閣寺が執筆された時期は、三島由紀夫がボディービルに目ざめ、文体改造に向き合い出した時期である言われています。

当然、三島由紀夫の人生観も大きく影響されている作品であると思いますが、それは読了後のお楽しみとしてゆっくりと関連書籍を巡ってみてから戻ってきても良いのではないでしょうか。

注)頁数は新潮文庫「金閣寺」のものとなります。




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