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書評・読書記録

【ネタバレ】サイテーな主人公は森鴎外!?背景を知らなければ感じ取れない「舞姫」の魅力!

投稿日:2014年5月17日 更新日:

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既に「古典」となりつつある森鴎外

「舞姫」という作品の名前を耳にしたことがある人は多いでしょう。

僕は青空文庫で舞姫を読もうとしましたが、スマホで旧遣いの文章は根気が必要すぎて挫折。

井上靖が現代語訳をした「舞姫」に頼りました。

 

「舞姫」ってこんな小説

あらすじだけ読むとサイテーの主人公!?

太田豊太郎が官吏のドイツ留学から帰国途上の船において、回想録という形で綴りはじめた書き出しとなっています。

舞台は19世紀末のドイツ。豊太郎は下宿に帰る途中、教会の前で涙に暮れる美少女エリスと出会い、心を奪われます。父の葬儀代すら出せない貧しく途方にくれるエリスを見て豊太郎は金を工面してやり、以後清純な交際を続けていきます。

しかし、これを良く思わない仲間の讒言によって豊太郎は免職されてしまいます。

その後、豊太郎はエリスと同棲を始め、親友の相沢謙吉のより新聞社のドイツ駐在通信員という職を得ました。

エリスはやがて豊太郎の子を身篭ります。

ところが、豊太郎は相沢の紹介で大臣のロシア訪問に随行することになり、大臣の信頼を得るためエリスとの関係を絶つことを約束してしまいます。

ロシア訪問を知ったエリスは豊太郎の帰国を心配しはじめます。

豊太郎は相沢との約束とエリスとの愛に揺れ、真実を告げられず、その心労で人事不省に陥り、数週間も意識不明となっていまいます。その間、相沢から事態を知らされたエリスは、衝撃の余り発狂し、パラノイア(妄想性人格障害)を発症してしまいました。

目が覚めた豊太郎は、治癒の望みが無いと告げられたエリスに後ろ髪を引かれつつ、日本に帰国することになりました。

「相沢謙吉が如き良友は、世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心、今日までも残れりけり。」と、豊太郎の心からの呟きを残し、本書は締めくくられています。

なんだ、この男は!

誰もが最初に抱く感想は、「豊太郎サイテー!」だと思います。

官費でドイツ留学に行き、最初は真面目に淡々とこなしていたものの、海外の自由な気風に触れ、美少女とめぐり合い、果ては妊娠させ、勝手に悩み混乱し、結局は発狂したエリスを置いて帰国してしまう。

優柔不断な男が、異国の地に女を置き去りにしたサイテーな話じゃないか、何でこれが名作なんだよ・・・と思われるでしょう。

実際に、石橋忍月という人が森鴎外との間で「主人公太田豊太郎は功名を捨てて恋愛をとるべきである。」などと言った舞姫論争というものを引き起こしています。

「舞姫」の本当の意図は?

鴎外と豊太郎の違い

「舞姫」は森鴎外の小説第一作とされています。

そして、これは鴎外がドイツ留学をした時の体験を基に書かれており、実際にエリスにはモデルがいて実在していることも検証されています。

ただし、事実では、ドイツ留学中に鴎外はエリスを妊娠などさせてはいませんし、発狂もしていません。

それどころか、エリスは鴎外を追って日本に訪れたことも確認されています。しかし、エリスと鴎外の関係を快く思わない鴎外の家族は、エリスを帰国させ、また早々と鴎外に結婚を薦めて結婚をさせてしまいました。

それでは、何故、鴎外は「舞姫」ハッピーエンドではなく、バッドエンドのような締めくくりにしたのでしょうか?

鴎外もエリスも結ばれる事を望んでいたのではないのでしょうか?

テーマを読み解く

本書の解説を読むと「『舞姫』のテーマは近代自我の確立と挫折のドラマにあるとする」と書かれています。

そんなことを言われても全然ピンときません。

なぜ、ピンと来ないか。

それは時代背景を知らないからです。

近代自我の確立?ふーん。挫折?へたれの間違えじゃないの?

 

違います。

 

ここからは、以下の引用が気持ちよく説明してくれます。

元カリスマ予備校講師の出口汪氏のサイトです。

参考:「出口の文学鑑賞

あくまで僕の推論に過ぎないが、「舞姫」は鷗外の贖罪の書ではないかと思うんだ。

鷗外にとって、ドイツは生涯唯一の自由な世界だった。まさに自由な風に吹かれて、異国の金髪の女性と恋に陥った。

おそらく鷗外はエリスと結婚の約束をしたに違いない。自由な風の中で、鷗外は家族を何とか説得することができると思ったんだ。

しかし、鴎外は家族を説得する事はできず、日本に来たエリスを追い返し、すぐに結婚をしてしまします。

いまならば、一般的には自由恋愛は許されているし、日本まで追ってきた恋人と結ばれる事は難しくないでしょう。

ここに、時代背景の大きな問題と、現代人の感覚の相違があります。

自我が芽生えているから、自分の意志で物事を決定することが当たり前になっている。

鷗外はともかく、少なくとも豊太郎はまだ封建人だったんだ。

明治の知識階級は江戸時代にはその殆どが武士階級で、個人よりも家や国家の方が大切だった。

恋愛はあくまで個人のもので、相沢謙吉に言わせれば、一個人の私情に縛られてはいけないとなる。

当時の価値観で言えば、恋愛よりも家や国家の方がはるかに重たい。ましてや、鷗外は新帰朝者で、当時の明治国家を背負っている。

家族全員でそう説得されたなら、鷗外は断腸の思いでそれを受け入れるしかなかった。

相沢謙吉だったら、いとも簡単にエリスを棄て、それを当然だと考えたはずだ。豊太郎は自由な風に吹かれて、近代人としての自我が芽生えかけたところだった。

だが、それも一瞬の幻で、結局は家や国家から自由になることなどできなかったんだ。

敢えて言えば、豊太郎は一人の女性を棄てるのに、精神を喪失するほど苦しみ抜いた最初の近代人だったんだよ。

そうなのです。

現代人の感覚で読んでいては「近代自我の確立と挫折のドラマ」を感じ取ることができません。

そして、鴎外がドイツ時代を愛しエリスを愛していたことを知らなければ「豊太郎の一点の憎しみ」と「エリスへの贖罪」を感じ取ることもできません。

まとめ

明治のまだ封建的な時代背景とドイツで鴎外が感じた開放的で自由な気風の違い。

実在のエリスを愛していたものの引き裂かれた恋の結末。

この2つの隠された執筆背景を知ることで、鴎外の苦悩が「舞姫」の中に落とし込まれていることに気が付き、鴎外の意図を感じ取ることができるのです。

いかがでしょうか?

「サイテーな豊太郎」のイメージが「時代に逆らえず苦悩した鴎外の心の反発を表現した豊太郎」になったでしょうか。

 




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