ここ数年、台風や地震の災害で地名が注目されている。
例えば、谷や沼の付く地名が危ないだの、台の付く地名は地盤がしっかりしてるだの、そんな話題を見かけることがある。
その一方で、ひらがなやカタカナの地名で全く歴史を感じないものまである。
地名とはどうやって名付けられているのか、一体、いつからその地名を名乗っているのか、そんな疑問に答える一冊が『地名崩壊』である。
地名は本当にその場所を表しているのか?
原則は場所の特徴
まず、地名とは何なのだろうか。
本書では、柳田國男の『地名の研究』から引用して「二人以上の人の間で共同に使用される符号」と定義している。
一人なら場所に名前がなくても何も問題ない。しかし、誰かにその場所を説明する場合、「その土地を他のどこかと区別する機能を持つ必要がある。あたり一帯のどこにでもあるモノを名乗ったのでは区別できない。」のだ。
つまり、平らな場所に「〜平」と付けても意味がなく、平らな場所に窪地があるから「〜窪」などと名前が付けられる。
そういう意味で、「窪」「谷」「沼」「井」などが地盤が弱そうな地名とされるのは、あながち間違えではないらしい。
一方で、考えてみれば当然なのだが、例外も沢山ある。
例えば、先ほど例に挙げた「窪」は、周りに平らな場所に窪地があるから「〜窪」と名付けられる。
この平らな場所が、頑丈な台地の上であったなら、当然「〜窪」と付いているから危ないとはならない。
また、当初の地名から合併や都市開発により、大きく変わった地名も存在する。
〇〇ヶ丘に「丘」は存在するか
世の中にはブランド地名というものがある。東京以外の地域の人でも「銀座」や「自由が丘」などを耳にすると、高級感のあるイメージを思い浮かべる人も多いだろう。
「銀座」は江戸幕府の銀貨鋳造所があった由来として有名だが、「自由が丘」はどうだろうか。
もともと「○○ヶ(が)丘」という地名はおそらく大阪の由緒ある「夕陽丘」(明治以前は通称)あたりが源流だろうが、東京近辺では自由ヶ丘(現自由が丘)がその嚆矢と思われる。この土地はもともと衾と称したが、自由教育を提唱した手塚岸衛がここで自由ヶ丘学園を経営するようになった。
特に戦後になって「○○ヶ(が)丘」は雨後の筍のように急増する。自由ヶ丘(自由が丘)の地名だけをとっても、昭和30年代から平成にかけて帯広市、青森市、弘前市、仙台市、いわき市、水戸市、つくば市、あわら市、名古屋市、鈴鹿市、河内長野市、大阪府熊取町、防府市、宿毛市、北九州市、宗像市、鹿児島市(いずれも現市町名)と全国各地に広まった。
このように学園名が由来からブランド化して全国に広がった地名もあるのだ。
したがって、丘のような場所もあれば、丘と関係ない場所もあるのだろう。
そもそも、自由な丘って、場所の特色なのだろうか。
他にもキラキラ地名として、ひらがなやカタカナがつく地名はたくさんあるし、ブランド地名に至ってはその土地との関係性もなかったりする。
地名と場所の特徴を表していない代表的な例である。
銀座地域の拡大
銀座の場合、銀座が正式な町名に決まったのは明治2年(1869年)である。その頃は、銀座1〜4丁目だけが「銀座」であった。
しかし、関東大震災で大きなダメージを受けた銀座は、昭和5年に復興事業により5〜8丁目が加わり、当初の7.5ヘクタールから21.0ヘクタールへと一気に3倍に拡大された。
その後、さらなる拡大や住居表示の変更を重ね、昭和44年には「銀座」の範囲は88.2ヘクタールまで広がった。
ということは、当初の「銀座」は現在のわずか%に過ぎない。
銀座周辺は、割以上の地域の地名が消失してしまったことになる。
おわりに
災害が起きるたびに地名が注目されるが、現在付けられている地名の成り立ちは本当に様々である。
そうなると、一番良いのはハザードマップや地形を把握することだろう。
また、役所のホームページを見てみると、昔の地名や地域の成り立ちが掲載されていることもある。
私の住んでいる街も、役所にある地名の変遷を見ると、おそらくだが好字に転換した形跡が見られた。
地名は誰がどのように決めたかなど、ブラックボックスな面も多く、ここに載っている範囲だけでも大変面白い内容だった。